亡くなった方へ伝えられなかった気持ちはありませんか?
私はよく講座やコースの中で「喪のワーク」というものをやっています。
このワークは不慮の事故や病気や災害で亡くなった愛する家族や愛する人に対して後悔や懺悔の気持ちが残っていて、伝えられなかった愛情や悲しみや怒りを伝えて、きちんとお別れするというワークです。別名「お別れの儀式」です。
ゲシュタルト療法などでよくやるワークなのですが、カズ姐さん風にアレンジしています。
何度セッションしてもどんなにセラピーを受けてもなぜか?「どうしても消えない罪悪感」がある。。そういう場合。。
じつはその最悪感を感じていた両親や愛する人が、いまはもう亡くなってしまい、この世には存在していない場合、どうなるかというと、ずっとその感情を自分の胸にしまいこんだまま抑圧して、無かったことにしてしまいます。そうしていると、なんらかの出来事に反応してイライラしたり、そういう自分に罪悪感を感じてしまったり。
日本人の価値観には、「死んだ人にムチを打てない」というものがあり、亡くなった親を神格化したり、理想化して「仏さま」として祀ることから、親に対して恨みなど持ってはいけないと、怒りを抑圧して我慢したまま無かったことにしてしまうのです。しかし、ほんとうは親に対してのその怒りはそれでは消えることはなく、親しい人や自分の身近な人に対して、その感情をイライラして爆発してしまいがちになります。
もちろん、怒りだけではありません。震災や不慮の事故や突然死などでも、愛する人を守れなかった、愛する人に対して言いたいことを言えなくて、死んでしまって悔いだけが残ってしまい、自分を責めてしまっている人もいます。
そういうときは、亡くなってもうこの世にはいない故人ですから、そういう人に対しての感情や想いはあきらめてしまって記憶の外に追いやって忘れてしまっているという方がほとんどなんですね。
ところが、何度も何度も何か出来事があるたびに、この「罪悪感」という意味不明の感覚に襲われて、自分のことを卑下したり、絶望したり、自己否定したりしてしまうので、終わった出来事なのに引きずるという状態になってしまうのです。
罪悪感に囚われ続けてしまう
先日はAさんの亡くなったお母さんに対する感情を取り扱い、喪のワークに入りました。
Aさんのお母さんは亡くなる直前にむくっと起き上がって、お母さんの足元で泣きじゃくるAさんに一喝したそうです。
うるさい!!
その言葉を最後に息を引き取りました。
それが臨終の最後の言葉だったものですから、Aさんは「こんなに私はだめな娘だったんだ、私はほんとに母に悪いことをした」そういう罪悪感を抱えたまま、何かが起こると自分のせいにして、私が悪いからそうなってしまうんだと、自己否定を繰り返してしまう人生でした。
生前のお母さんはとても気が強く、彼女にとっては鬼のような母親であり、支配したり振り回したりということを、ずっと続けられてきたといいます。
それでも母につき従ってきたのがAさんでしたから、臨終間際の一喝はかなりショックだったのでしょう。
いつも「自分なんかどうせ、だめですから」という言葉ばかりを言って自己卑下を繰り返すばかり。
喪のワークの中では亡くなったお母さんと対話します。
目の前に亡くなったお母さんがいると想定して空のイスを置いて対話していきます。
Aさんは泣きながら頭を下げてこう言いました。
「お母さんごめんなさい、ガンを告知できなかった自分を許してほしい、許してほしい。。」と泣きながらずっとずっと言葉を繰り返していました。
それから亡くなったお母さんのイスに入ってみて、お母さんは目の前の本人にこう言いました。
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ごめん、でもほんとにあのときはうるさかったんだよ。
あんたが悪いわけではない。
私はお父さんに伝えてほしかっただけだよ。
あなたは私に最後までよく尽くしてくれた。
ありがとう。
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Aさんは泣き崩れました。
お母さんにありがとうと言われたことは生前ただの一度もなかったと。。
そして、亡くなったお母さんの手をとり、ありがとうの想いとお別れを伝えて、このワークを終わりました。
途中でお母さんに対して無視したり、Aさんに面倒事を押し付けてきた他の家族に対する怒りをぶちまけるシーンもありましたが、このぶつけようのない行き場のない怒りをご本人がじつは自分自身に向けていたのです。
それが罪悪感となって、愛する人を守れなかった悲しみと怒りとなり、それを抑圧するあまり、人や周りに対する恐怖感にすり替わってしまっていたのだと思います。
未完了を完了させることができたとき
講座が終わってからAさんからこんなメールをいただきました。
許可を得てシェアします。
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私は今、猛烈に叫びたい気分です。
今までたくさんのものを手放してきました。
今日、私の中の超最大級の罪悪感を手放しました。
「じゃあ、最後に手をつないで最後のお別れを」とカズ姐さんに言われ、最後の最後に、
「お母さん、大好き」と生まれて初めて、お母さんに言えました。小さな声でしたが。
それを伝えられて、映画の「完」がでっかくなって映画が終わるみたいな完了な満足感がありました。
もう私はこれからの人生、言いたいこと言っていい!と思えました。
ほんとに生きてて良かった!
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うれしいですね。
もしあなたがこのように亡くなった人に対する思いを未消化なままでひきずり続けて、ずっとずっともやもやを抱えていたとしたら?それがじつは意味不明の罪悪感や自己否定感やイライラ、焦燥感につながっているとしたら?その思いが強ければ強いほど、執着も強く残り続けます。だから故人に対する気持ちをどこかで引きずり続けるわけで、そうやって、そこにこだわりや執着をずっとずっと感じながら、その感覚に引きずられて人生が前に進んでいかない、と悩んでいる方もたくさんいます。
喪のワークの一番の目的は、災害や事故病気で亡くした人に対して、言いたくても言えなかった思いを伝え、悲しみや怒りを伝え、最後にごめんなさいとありがとうを伝えること。故人に対するこだわりや執着心が軽くなると人生がそこから一気に進み始めます。
想いを伝えて未完了の想いを完了することで人生を再び前に進めることができます。
でも一番いいのは愛する人にいますぐにでも、ごめんなさいとありがとうを言えるといいですね。
故人にお別れをきちんとできなかった、故人と仲たがいしたままでお別れになって罪悪感が残る、いまだにこだわりが捨てられずにイライラする、という方、あなたの人生を一歩前に進めるためにも、お別れが必要かもしれません。
そんな方にこのワークはおすすめです。