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キラキラ起業女子にみる自分を過剰に駆り立てる危うさ
最近自分を過剰にキラキラと飾り立てて、これでもか!とばかりに「幸せアピール」「成功者アピール」する人が増えてきました。
テレビのワイドショーでも取り上げられた「キラキラ起業女子」という言葉も、この1年でかなり聞かれるようになりましたね。
アメブロの読者登録にも毎日のようにそのような「キラキラ起業女子」のほんとに星がちりばめたブログがわんさかと読者登録にくるのですが、どこを切っても金太郎あめのようなブログばかりで、抜きんでた個性などまったく感じられません。
しかし、見た目がハッピー!という風を装い、過剰なまでに自撮りをし、これでもかとSNSで発信する人の中に、相当重症な心理的な問題を抱えている人が多数存在しています。そうしないといけない、とでもいうのか、強迫的に追い込まれてやっている人も多数みられます。
この見た目表面的に幸せを装うということは、「装わずにはいられない」何かがあると見た方がいいでしょう。
それは一言で言えば、深層的な不安や恐怖です。
どうして自分をそこまで駆り立てなければならないのか?その心理について書いてみます。
理想の自分と現実の自分のギャップに堪えられない
10年くらい前でしょうか、私はとある自己啓発のセミナーに呼ばれて講師として登壇したことがあります。
人数は100人くらいでほとんどが男性でした。女性は2割くらい。
しかもその2割の女性たちもイケイケドンドン系の方達ばかりで、休憩時間に隙あらば、名刺をもってきては熱心に自己アビールするという感じでした。
ところが、このセミナーである事件が起こりました。
ひとりの男性がパニック障害を起こして倒れたのです。
私が近寄って見るとこの男性は過呼吸とともにずっとおいおいと泣いていました。私が心理の専門家ということでこの場を任されて少しだけこの男性の話しを聞くことになりました。この男性は自分が暗くて、できないみじめな自分を見るのがイヤで、自己啓発で自分の価値を底上げしようと、このセミナーに来たのだといいました。
しかし、だんだん周りのテンションの高さについていけず、気後れしてしまい、だんだん「こんな場所にすらもなじめない、周りはこんなにイキイキと輝いているのに、自分はダメだ、死にたい、生きることすら恥ずかしい」と思ったとたんに、パニックになったようです。
このセミナーにはたくさんの起業家の方が参加していましたが、心理的には「自分は凄いんだ、できるんだ、自分は素晴らしい!」と心理的に働きかけることで、自分を啓発し、成功に導くという趣旨だったと思います。
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理想の自分と現実の自分のギャップ
結局この男性は「理想の自分」と「現実の自分」のギャップがあまりにも大きすぎて耐えられなかったということです。
周りが盛り上がれば上がるほど、周りのテンションが上がればあがるほど、自分が矮小に見えてしまい、落ち込んでしまったのです。
じつは、起業女子にも自己啓発セミナーにも同じ現象が起こっており、周りの誰かさんのように成功者でないといけない、あの人のようにキラキラ輝いている理想の女性にならなければいけない、そうでない自分はダメな人間なんだ、という不安を抱えるのです。
その不安は誰かに認められないと私という人間は価値が薄い、価値がない、と深いところで恐怖を感じているから、「自分を過剰に幸せ風に駆り立てなければならない」という心理が働いているわけです。
見た目と本人が幸せかどうか?は全く関係がない
先日もある方にこう聞かれました。
「理想の女性って輝いていて成功していて、でもそういう人ってそういう星の元に元から生まれているからそうなるんでしょう?そうじゃないとしたらどうしたら、あんな理想の女性になれるんですか?」と。
私は言いました。
「どうしてあの人達が幸せだってわかるんですか?」
するとその方は「えっ?だって見た目がキレイだし、、。」
私はこう続けました。
「見た目では幸せかどうか?なんて人にはわからないですよ。芸能人にも見た目は華やかだけど、不倫で苦しんでいたり、裁判して争って離婚したり、大きな病気を抱えたり、孤独死する人もいる。見た目がいいからといってそれが幸せと直結しているかどうか?はわからないものですよ。」と。
そういうとご本人も「そうですね」と納得していましたが、それでも「腑には落ちていない」様子でした。
この方の考え方のパターンには、「見た目」や「家柄」や「学歴」や「年収」「肩書」などの目に見えてわかりやすい判断基準があるのです。
このような見えやすい判断基準に振り回されるのが日本人の悪いところだと私は思っています。
本当の幸せはキラキラよりも平穏で安心な感覚
私がみなさんによく話すのは、人って本当の幸せは、見た目とか見えやすい評価ではなく、安心安全で平穏平和な気持ちでいること、その感覚を手に入れたい、と思っているのです。これは人間の本能的な欲求ともいえます。
では安心して平和で平穏で満たされた感覚ってどういう感覚か?というと、人を「愛し愛される」という感覚を享受できて「安心している」「力を抜いて楽に生きられる」「五感を豊かに感じて」「充足している」という感覚です。
それが幼少期の頃に、両親との間で満たされた感覚というものを受け取った子どもは、他人も尊重することができるし、何も持たなくても愛されて自分が存在しているという「自己信頼」や「自己重要感」「自己肯定感」が備わりますから、他人と比較して自分を下げることはありません。
そう思うと、やはり幼児期~幼少期に両親とどのような関わりがあったのか?ということは、非常に重要ですね。
両親との問題をさかのぼってみていくと、本当の問題は「安心安全がない不安な状態」が問題を大きくしているのだということに気づきます。そこを見ていくと、必要以上に不安から自分を強く、自分をキラキラと飾り立てる必要もなくなり、本質的な自分の輝きを感じることができるように思います。
そして、「理想の自分」とは誰かの理想像ではなく、現実のありのままの自分、できてもできなくてもありのままの等身大の自分という存在を認められるようになると、人のことも受け入れられるようになり、愛される人になります。
人生は劇的に変わります。
どんなときも、自分が自分の味方になってあげることです。