ねば、べきを完全に取り去る?

みなさん、こんにちは。
福岡・大阪・東京を飛び回る心理セラピスト
心理カウンセラー・講師のカズ姐さんです。

本日は福岡の篠栗という山中にて
福岡プロコースの最終合宿です。

今回のお宿は久山温泉という所で
福岡市内から20分くらいの森に囲まれた
とっても自然がたくさんの場所。

ねば、べき、を完全に取り去るべき?
紅葉が色づいていて素敵な湖があるのだー

さてさて、本日のテーマです。

ねば、べき、を完全に取り去るべき?

よくこんな強い命令系の言葉が
本人の生き辛さにつながっているといわれます。

~しなければならない
~せねばならない
~してはならない
~すべきだ

といういわゆるねばべきと言われる
信念価値観ビリーフと呼ばれるものですが、
最近変な方向にズレてる感じがします。

たしかにね。

ねば、とか、べきが、
少ない方が人生は楽ですよ。

それが自分の人生を不自由にしているのであれば
それをフリーにしていくと楽になれます。

が、が。

1を100に解釈を拡大しすぎて
迷い子になっている
方たちが
最近とっても多くみられます。

マイルールはあっていい

心理のお話しが身近になってきた分、
嬉しい面もありますが、都合よく拡大解釈しすぎて
なんでもかんでもビリーフや価値観をひっくり返して
必要性のないものまでに拡げてしまっているため
大混乱してしまうのです。

人はひとりでは生きられません。

一人以上の人間と関わるとき
自分と相手という関係性が発生します。

その中で
自分の中でOKとNOという
マイルールは自然に存在する
わけですね。

マイルールがないとかえって
他人や世間軸になって振り回されてしまい
自分という存在が希薄になりがちです。

だからといってマイルールが強すぎると
人や周りをマイルールで裁き始めるので
敵をつくったり、周りに価値観を押し付けたり
わかってくれないと嘆いたり自分の価値観で
他人をコントロールしようとしたり。。

自分にとって望ましくない状況が
創り出されたりするわけです。

だから強すぎる信念や価値観を
緩めていく必要があるわけですが
なんでもかんでも緩めてしまうと
こんな風になります。

結婚している相手に手をだして相手から奪うこともOK、
仕事さぼって責任を放棄するのもOK、
他人に迷惑をかけてもOK、
相手に言いたいことをぶつけて傷つけてもOK、

ねばべきをひっくり返して
それをすべてOKにするということは
強い禁止令を緩めるという時点では
思考を緩めるのでOKだと思います。

ただね、その結果として
なにかが起こってもそれに対しては
自分の自己責任においてやるんだよ、って話です。

すべて自己責任なんです。
この世界は。

行動の責任は自分にある

私は自由!それはOK。

しかしその結果として
周りから批判や非難や否定や拒絶を受けたとしても
あなたがきちんとその行動の責任を
取れるんなら何やってもいいんです。

ぶっちゃけ犯罪行為だって
その報いとして刑務所に入るだろうし
家族も仕事もお金も友人もすべて失うだろうし、

それでもやりたきゃやればいいよね。

ただ行動の責任はあくまで自分自身。

それを否定的な結果だけは受け取らない!とばかりに
他人のせいにする人のなんと多いことか。。

不倫したらそのツケは自分にきますよ、
奥さんにバレたら賠償請求されます、
当然そういうこともあります。

その覚悟でやればいいんです。

自由恋愛で何が悪いの?って
自由の裏側にはべったりと責任
という文字が張り付いてるんですね。

自分の価値観を大事にする

べつに、
ねばべきを持っててもいいんですよ。

価値観や信念・ビリーフはそれを
絶対に取らなければ幸せになれない?
というわけではありません。

要するに今のあなたにとってそれが
必要であればそのままでいいんです。

別にそれを無理やり取り去る必要は
まったくありません。

あなたの心や存在を守るために
価値観信念ビリーフはあります

だから最初からねばべきを取り去らないと
私は幸せになれない、だから自分の信念を
なんとしてでも絶対に変えなければならない、って

もうそれ自体が、ねばべきです。

どうぞあなたの信念価値観ポリシー
そしてマイルールを大事にしてください。

私も自分の価値観やポリシーを持ってます。

べつに手放す必要もないし、
持っていることで不自由だと感じたことは
今のところまったくありません。

もう今の自分には必要ないなと
思ったものだけ、手離したらいいかと思います。

なんでもかんでも
外そう、取り去ろうとしないでね。

ねば、べき、を完全に取り去るべき?